考えてみたいことリスト
色々と考えてみたいことをリストのように並べてみます。
大人になるということと、それを他人に求めること
大人じゃないなぁとか子供だなーとか言われたり聞いたりする世の中ですが、実はその中身ってみんなあんまり考えてなくない?っていう話。
自分が他人に期待するものがあって、それと異なる言動をされたときに、盲目的に、攻撃的に、自己正当化的に使ってない?
場面ごとに、もう少し掘り下げて具体化・詳細化してみると多分落ち着きのいい言葉が見つかると思う。
「大人なんだから」「仕事なんだから」「30歳なんだから」このあたりの言葉が本当に嫌いなんですよね僕。
仕事とプライベートの棲み分け
これも上記と関連するけど、どうして仕事とプライベートって分別する必要があるんだろうかっていう話。
仕事だから責任感持ってやる、みたいな話とかあるけど。
責任感持ってやらなければ(例えば途中で投げ出せば)自分への信用とか失われるっていう話で。
それってプライベートであっても、誰かと何かするとき一緒では?って思う。
待ち合わせとか約束とかの場面。
仕事っていう大義名分で思考停止してない?っていう話。
責任というもの
世の中で生きていくうえで求められますよね。
でもこれも責任っていう言葉がいいように利用されている気がしてならないって話。
法律は守らなければいけないけど、マナーは守れば褒められるものだと僕は思っていて。
それと同じように、法的な義務は履行する必要あるけど、責任は別に負えば褒められるものくらいでいいと思う。
不明確で、言葉の定義と負わされる場面・程度が人ごとに異なる、そんなふわふわしたもので僕は人生を縛られたくない。
(別に僕が責任全く負いませんよ、責任感とか皆無ですよっていう話ではない。他人に求めるのは違うかなって思っているという話。)
最近のHUE
最近なんか「お~」って思ったり、「なるほどー」って思ったり、とにかく何かしら刺さったもの。
HUEっていうのは特定の友人間で使っている言葉で「Oh~」とか「Wow」みたいな言葉だと思ってください。どうでもいいです。
さて、最近のHUEですが、圧倒的に芦田愛菜さんの「信じるとは?」に対するコメントです。
LINE NEWSで見つけたとき1秒でスクショ撮ってました。
Youtubeとかにもコメントしている場面がアップされてたりするんで、よかったら見てみてください。
ー信じるとはー
「『その人のことを信じようと思います。』という言葉をけっこう使うと思うんですけど、どういう意味なんだろうと考えた時に、”その人自身”を信じているのではなくて、自分が理想とする”その人の像”に期待してしまうことかなと感じて。」
「『裏切られた』『期待してたのに』ということがあるけど、それはその人が裏切ったわけではなくて、見えなかった部分が見えただけであって、『それもその人なんだ』と受け止められる、揺るがない自分がいることが、信じられることなのかなと思ったんです。」
「でも、揺るがない自分の軸を持つことは難しいじゃないですか。不安な自分がいるからこそ、人は『信じる』と口に出して、成功した自分だったり、理想の人物像にすがりたいんじゃないかなって思いました。」
以上です。
100万回頷いた。